何もできなくなったとしても、笑顔でいることができる ということは究極の人間力ではないかと思います。
一般に生真面目な人は、あらゆる事象を深刻に受け止め、もともと失敗が少ないにもかかわらず、失敗を恐れ、笑顔どころではない という傾向があるように思います。
もちろんそれは尊いことです。
何も非難されるべきことではありません。
ただそれが行き過ぎ、笑顔を忘れた人生となれば、本人にとっても、また周囲にとっても重苦しいことになるのではないか と思うのです。
幼い子供たちは、わかりやすくよく泣き、よく笑う。
もう少し大きくなると、箸が転んでも笑う とちょっとしたことでも笑える元気がある。
そして中高年になると、あるいは人生観 あるいは天性の性格 あるいは努力によってよく笑う人と笑いを封印した人に分かれていくように思います。
それは決して貧富の差ではなく、運の良い悪いでもなく、性格のよし悪しとも関係ないと思います。
笑う笑わないの差は、年齢が上がるにつれ、広がっていきます。
どうしても生物としての人間は、高齢になるにつれ不具合が増えていき、自分の努力で克服できるものではないことが不如意ながら多くなるのは、どうしようもないことです。
その時、自分で自分を笑って受け入れてあげられる ということは大切なことのように思います。
そうであってこそ、他の人にも笑顔を向ける余裕ができるのではないか と思います。
“涙は女の武器じゃない。 女の武器は笑顔だよ” とあのガクトさんも言ったとか。
これは妙齢の女性のみならず、誰であってもそうなのではないかと思います。
マクドナルドも、スマイルはフリー と掲示しています。
どんな時でも笑顔でいるのは、無理だとしても、喜びの人として笑顔の自分を友として生きたい と私は思っています。




