昨日は亡父の誕生日だったのですが、もし生きていたら今年で何歳だったかな と数えてみるとちょうど100歳ということに気付きました。
最近は長寿の方は多く、昨年の敬老の日の統計によりますと、センチュリアンは92139人もの多くの方がおられるそうです。最初に統計を取ったのは、老人福祉法が制定された昭和38年とのことですが、その時には全国で153人だったということですから、どんどん増加していることが分かります。
昭和56年には千人を超え、平成10年に1万人を超えたそうです。
父は67歳で亡くなりましたので、もう33年も前ですから、とても100歳までの長寿を経験できたとは思えませんが、当時は1万人以下だったのですから、百寿(センテナリアン)になるということ自体は、選ばれた少数の人という共通認識はありました。
しかも昨年の9月15日現在の100歳以上の92139人のうち、女性は約89%ということですから、男性である父にとってはとてもハードルの高いことですね。
父は8人兄弟姉妹の6番目ということですから、家庭内では、正直存在感の薄い存在だったのかもしれませんが、あまり干渉されない分、自分好みの人生をのんびり生きることができたように思います。
母は、当時としては少数の3人兄弟で、龍野出身の父から見れば、大都会の大阪のど真ん中で育った母とは、だいぶ生き方は違っていたように思います。
面白いですね。それでも仲良く人生を寄り添って生きることができたのですから。
年齢が上がるにつれ、のんびり生きようと、いきって生きようと、自分の好みに合った生き方を全うした方が、総じて幸せな人生なのだと腑に落ちてきました。
父も母もそういう意味では、自分好みの生き方ができたのでしょう。
私も老後の人生は、平和にのんびりちょこまか家事を楽しみながら生きたいものだと思います。
ああでも、旅には出たいし、美味しいものも食べたい。読書三昧も楽しみたいし、ピアノも弾きたい。中断している趣味の勉強も再開したい。
煩悩にまみれています。