最近AIが普及して、こういった込み入った話も一瞬で解決してくれます。
性善説は、人間の本性は善である とする説。
性悪説は人間の本性は悪であるけれど、教育によって是正できる。
といった古代中国の儒家の説。
それを現在日本では、性善説は楽観主義 性悪説は悲観主義とクリアーカットにとらえる風潮だけれど、もとはと言えば、教育の重要性を主張するのが、はじまりとのことです。
この殺伐とした時代に、性善説だけというのはあまりにお人よし あるいははた迷惑ということもあるでしょうし、性悪説一本やりでは友人はできにくい。
例えば、この人はいい人だと思って気を許していて、自分の大切なものや人 何なら愛情すら奪い取っていく人もいるでしょうし、疑心暗鬼で、一切のお付き合いを封印して依怙地に見えて、自分の好きな世界をもっていて孤独に強い人。
こういうのを教育によって、何とか矯正するということは、不可能なのではないかと思います。
教育というのは、人の本来の気性を矯正するほどの力はないのではないかと思います。
せいぜいできて、ふるまいを整えるというだけではないかと思いますが、それは世間に適応するお作法を学ぶ という程度のことなのかもしれません。
ですから、性善説だ 性悪説だ と大上段に構えるのは、今の時代にはマッチしないのではないかと思います。
人の信頼を失わせる、信義則に反する不法行為は法律で罰し、それ以外の生き方については、干渉せず、自分に合わない人は敬して遠ざける ということに収斂するのではないかと思います。




