兵庫県伊丹市宮ノ前1丁目4-8 みやのまち3号館1階
白内障・網膜硝子体・緑内障・涙道・斜視の日帰り手術専門クリニック
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午前9時~12時
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手術 ※日,祝,土曜日午後は休診となります。

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黄斑前膜 メール相談 N0.14 | 伊丹市の眼科|宮の前眼科|白内障手術・硝子体手術・斜視手術

黄斑前膜 メール相談 N0.14

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2017/11/10担当:鄭 守
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鄭 先生、いつもありがとうございます。

改めて鄭先生への感謝の気持ちを込めて、また、少しでも黄斑前膜で不安になっている方の助けになりたいと思い、以下長文ですが今日までの軌跡を伝えさせて下さい。

今から1年半前、48歳の時、初めて視界に違和感を抱いたのは、朝日が眩しい交差点でした。例えるなら…左右で度の違うコンタクトを反対に入れたときのような、度の合わない眼鏡をかけているような感じです。でもそれは常にではなく、とても明るい場所でのみでした。私は、中学の頃から近視が始まり、高校では右眼0.04、左眼0.06まで視力が落ちハードコンタクトをつけ始めました。しかし年齢とともに充血や乾燥などでコンタクトが辛くなり、43歳の時に思い切ってレーシック手術をし、両眼とも1.2まで見えるようになりました。レーシック手術後はずっと裸眼で良く見えていたからこそ、この視界の違和感は気のせいではないと感じ、すぐに近所の総合病院に行きました。しかし、左右どちらが変なのかも分からないくらい症状が初期過ぎたからか、眼底検査はしてもらえず(…というか、この時は眼底検査がどんなものかすら知りませんでしたが…)いくつかの検査と検診の結果「特に異常はありません。年齢的に老眼も始まる時期ですし、乱視も少し出てきているのかもしれませんねぇ…」と言われました。

1ヶ月もしないうちに右眼が少しかすみ、若干大きく見えるようになりました。「異常なしと言われたのに、進んでいるこの見え方の異常は何?普通の眼科医では見つけられない、とんでもない難病だったらどうしよう?!」と得体の知れない病への怖さで不安でいっぱいになりながらも(再度最初に行った総合病院に行く気にはなれず)この症状は何の病気なのかネットで調べました。他の眼病に比べ、症例は少なかったものの、その症状からすぐに黄斑前膜ではないかと思いました。

「失明はしないが、薬で治したり眼鏡で矯正したりは出来ない。悪化を防ぐには手術しかないが、手術しても完全に元通りにならず、ゆがみは残る」とだけ、さらりと書いてあるのを見つけたときはとてもショックでした。眼の手術というだけでもとてつもなく怖いのに、頑張って手術してもゆがみが残るってどういうこと?と怖さは増すばかりでした。

少しして冷静になると、手術になるかもしれないと思い硝子体手術をしている近所のクリニックに行きました。今度は眼底検査をされ、PCの画面で網膜の断層写真(OCT)を見せてもらい、黄斑前膜と診断されました。覚悟していたので「やはりそうか…」と病名が分かりスッキリしました。この時は、方眼用紙がゆがんで見えることはなく、視力も出ていたからか、先生は「数ヶ月で進む病気ではありませんから、すぐに手術ということはありません。手術にもリスクを伴いますし…今から平均寿命まで生きるとして、それまで何年も何年もかけて症状が進めば手術ですが…その頃にはもっとリスクの少ない手術ができるようになっているかもしれませんしね!」とおっしゃいました。「そうか、そんな先の長~い病気なのか!」と、この時点では不自由もなかったので、その2か月後に定期検診に行ったきり、通院しなくなりました。

手術が怖い私は、症状が進まないように、この頃ストレスがピークだった様々な事情を見直し、意識して心身ともに健康に過ごす努力を始めました。更にネットで調べていくうちに、膜が自然にはがれる人が5%位いるというのを見つけ、「5%目指して頑張るぞー!」と漠然とした目標に向かい張り切ったのでした。。。 

黄斑前膜の診断を受けてから、それまで全くなかった老眼の症状が急に出始め、1~2カ月で老眼鏡をかけないと新聞や本が読みにくくなっていきました。調べると「老眼は50歳までは急激に、その後は緩やかに進む」とか「他の眼病を伴っていると、老眼は急激に進む」とありました。3~4カ月後にはパソコンの字も見えづらくなったのですが、老眼鏡をかけると見える。他には階段の足元、人混みがかすんで見えづらい、これらが老眼のせいなのか黄斑前膜の進行なのか、その時は分かりませんでした。しかし、5ヶ月後には明らかに黄斑前膜の症状である<大きく見える>は少しずつ進み、白色や銀色のものが特に見えづらくなってきました。具体的には、爪を切る、歯間ブラシを使う、白地にシルバーで印字された表示などです。6~7カ月後には、老眼鏡をかけても爪の境目がかすんで見えないので爪が切りづらく、買い物に行っても物の値段も見えづらいし財布の中の100円や1円を見分けることができなくて困るようになりました。(術後8ヶ月の今は、これら白色や銀色も、階段の足元も人混みもかすむことなく見えるようになったので、振り返ってみて初めてそれは黄斑前膜の進行症状だったのだと分かりましたが)

ここまで不自由になると急に怖くなってきて、再度黄斑前膜について検索を始めました。すると「診断後半年くらいまでに手術した患者は回復も良い」という記事を見つけ、一気に手術に踏み切る気持ちになりました。しかし、診断を受けたクリニックの先生の所に再び行く気にはなれず、安心して手術を任せられる病院をネットで探しました。そうして、心惹かれたのが貴院のHPでした!

肝心な技術については、黄斑前膜のページだけでなく、鄭先生が担当されている<網膜、硝子体、黄斑部>の他の病気の部分を読むと、黄斑前膜よりも重篤な眼病の手術や治療をされていることが分かり、鄭先生に対する信頼の気持ちは増していきました。きっと安心して手術をお任せできるに違いないと思ったのです。そうして、手術を希望している旨の初めてのメールを鄭先生にお送りました。

鄭先生、あの時、数時間後に返信頂いたメールの言葉にどれだけ心が救われたか…鄭先生の心根の優しさを感じ、私は勇気を持って前に進むことが出来たのです。。。

(鄭先生にとっては日常的な普通の文章のつもりで、そんな大げさなと思われるかもしれませんが、この時はどん底にいて心はすごく敏感で繊細な状態でしたから…。) 

初めての診察の日、検査を挟みながら待つこと数時間。ようやく中待合の席に呼ばれ待っている時、壁の向こうから聞こえてきた落ち着いた感じの関西弁のイントネーションになぜか緊張してしまい、人見知りしてしまった私は、本当は手術の事をしっかりと聞いてこようと思っていたのに何も聞けなくなってしまい、先生の言葉をひたすら待っていました。OCTと診察で黄斑前膜を確認説明された鄭先生は手術について「網膜の厚みが1.5倍位になっていますし、矯正視力も0.7まで下がっていますので手術のタイミングとして適切とは思いますが…後は見え方次第ですね…?」と言葉少なに慎重な発言でした。見えづらさが進んでいるのでなるべく早く手術をしてほしい旨を伝え、1ヶ月後に手術を決めました。この時、49歳4ヶ月だった私は先生に「50歳になっていないので、白内障の手術は同時にしないでピント調節機能を残しましょう。」と言われました。最後に、「では何かあったら、メールください」と名刺を差し出され、それに安心した私はようやく笑顔になり、名刺を受け取ったのでした。

(鄭先生の名刺は、とても神聖に感じるので今でもお守りのように大切にしているんですよ☆彡)

その後手術まで1ヶ月の間、疑問に思うことや知りたいことは医院のHPにほとんど出ていましたから、1度もメールすることはありませんでした。不安だったのは、もしもガスを入れなくてはいけなくなったら術後の生活が大変だなあということでしたが、この点も手術中に私に元々他の眼病が見つかれば仕方がないけれど、鄭先生ほどの技術と経験をお持ちなら網膜が傷つかないようにより優しい手術をしてくれるだろうと信じていました。あとは手術中に地震が来たり、又、鄭先生が急に具合が悪くなって倒れたりしませんように!とだけ、天に祈っていました。

いよいよ手術当日(初めて視界の異変を感じてから10ヶ月後)前日も良く眠れ、特に不安や恐怖もなく、スタッフの皆さんの温かい対応に導かれるようにすんなりと手術を受けることが出来ました。でもそれなりに緊張はしていたので、手術中はハンカチをおなかの上でギュッと握っていました。術中は最初に2度ほど器具が差し込まれた時だけ、グッとなり驚くのですが、その後、痛みは全くありませんでした。外界は全く見えず眼内であろう硝子体らしき糸くずのようなものが混ざった白いものが動いているのと棒状の影が見え、その間、眼を閉じられないのが辛いとか目を閉じたいと思うことは1度もなく、後半暗くなってからは、もはや目を開けているのかも、どちらを向いているのかも何も分からなくなりました。でも先生が何もおっしゃらないので大丈夫なんだろうと思っていると「取れました」と先生の微かなお声が聞こえ…安心したのでした。

心配していたガスを入れるようなことはなかったので、30分くらいかけて一人、電車で帰りました。貼られているガーゼが大きく、まるで事故で顔面を半分近く負傷した人のように目立つので、人混みでも避けてもらえます。しかし、つまずいたりしないように慎重に歩きながらですし、昼間で電車が空いていたから良かったのですが、帰宅ラッシュの時間だったらタクシーにしたと思います。

手術の人も普通の診察の人も同じ待合室で待つのですが、その日手術を受ける患者は常に複数人いますし、重篤な患者が多いところですから、先で手術を考えている患者にも、すでに術後で通院している患者にも、ともに眼病と戦う者同士労わるような空気があり、そんな中にスタッフの方々の感じの良い働きが合わさって、待合室の“気”がとても穏やかに感じます。

お医者様が患者を救うことはお仕事であっても、絶対的なお気持ちがないとできないことだと思っていますので、私は敬意を込めてお医者様と呼びます。鄭先生に対しても、丁寧な手術をして頂いたであろうから、今日の回復があるのだと思い、常に感謝の気持ちでいます!(丁寧な手術をすることは、鄭先生にとっては医師のプライドにかけて当たり前のことなのかもしれませんが、私はやはり気持ちがこもっているからこそだと思うのです。)

黄斑前膜は、手術で膜を取っても術後の回復はゆっくりですし、完全には元に戻らない病気ですから、それを受け止め希望を持って前に進むのはなかなか大変です。でも、術後8ヶ月の今、網膜が回復する可能性がある術後2~3年間希望を持って網膜にとって良いと思われる生活を過ごせば、かなりの回復を遂げられるのではないかとこれまでの実感とともに今後にも期待しています。そして、見るということは脳がかなり画像修正してくれます。多少のゆがみがあっても、脳は確実に修正能力をつけてくれていると感じています!

最後に、鄭先生、助けて下さり、本当にありがとうございました!!

また来月の検診でお会いできるのを楽しみにしています。。。

そして、これからもまだまだよろしくお願いしますね。